炒飯(チャーハン)の歴史って? その美味しい起源に迫る!
白米はそこまで食べないけれど、炒飯は大好き!という人も多いのでは。
炒飯(チャーハン)とは
「ご飯に肉や卵、野菜などを混ぜ油で炒め、味付けしたもの」
言わずもがなの、中華料理。
重い鉄の中華鍋に、溶き卵を入れて、ご飯を豪快に放り込む。
そして…煽る、煽る、煽る!
米粒が乱舞し、卵が綺麗にコーティングされたら完成。
この一連の流れは、驚くほどスピーディー。
この安い、早い、うまい「炒飯」はどうやってできたのでしょう?
炒飯は中国で誕生した
炒飯は数千年前の古代中国で誕生したとされています。
最も古い記録として残っているのは、隋(6〜7世紀)の時代。
初めて登場するのは「食経」という文献。
7世紀初めの隋の宰相「楊素」という人物が卵とごはんを炒めた料理「砕金飯(シュイジンファン)」を好んだのだとか。
いわゆる卵炒飯ですね!
中国では古くから、余ったご飯を利用して様々な料理を作る習慣があります。
余ったご飯に少量の肉や野菜、卵を加えることで出来上がるので、食材の節約有効活用を目的として作られたと考えられています。
中国の歴史を通じて、炒飯は様々な地域で異なるスタイルやバリエーションで広まりました。
特に唐の時代(618年〜907年)には、炒飯がより洗練された料理として発展したとされています。
中国のどこで誕生したの?
はっきりと断定するのは難しく、中国のさまざまな地域で、それぞれに特色ある炒飯が誕生してきています。
それは、中国の各地域が異なる食材や料理スタイルを持っているため。
ですから、中国全土において、地域ごとに異なるスタイルやバリエーションの炒飯が存在しています。
あえて言うなれば、中国南部の広東省が炒飯の発展に大きな影響を与えたとされています。
広東省の料理スタイルは、様々な食材を使用し、炒め物が特に有名。
確かに炒飯が発展しても不思議では無いですね!
炒飯が日本に来たのはいつ?
炒飯が日本へ来たのはいつでしょう。
一般的に、20世紀初頭に中国料理とともに日本に紹介されたと考えられているのだとか。
関東大震災(1923年)後、多くの中国人が日本に移住し、その際に中国料理が広まったと言われています。
中国からの移民が増えるにつれて、中国料理のレストランが日本で開業し始めました。
これらのレストランで提供された料理の中には、炒飯も含まれていたのだとか。
一番最初に日本で炒飯を作ったお店は?
じゃあじゃあ、日本で最初に炒飯を出したお店ってどこなの??
気になりますよね。
気になるでしょう。
炒飯を最初に作ったお店を特定することは、記録もないようで非常に難しいことです。
じゃあ・・・・
日本で最初に開業した中国料理のレストラン
これならどうでしょう!
メニューで炒飯を出さないわけがない、はず。
これを特定したらわかるのでは!?
日本最古の中国料理のレストランは、横浜中華街で1884年(明治17年)に創業した「聘珍樓(へいちんろう )」だとか。
横浜中華街の「聘珍樓(へいちんろう )」は閉店してしまったけれど、姉妹店は残っています。
メニューをのぞいて見ると、
- XO醤入り海鮮チャーハン
- 極上スープがけ海鮮入りチャーハン
- 海老とチャーシュー入りチャーハン
聘珍樓(へいちんろう )公式ホームページ より引用
うをををを。
美味しそう。
ということで、観光の名所にもなる中華街。ちなみに神戸にもありますね、中華街。
中華街ということは本場の老舗炒飯が集まるに違いない。
長い歴史を持つ伝統的な中華料理店であることからも、「聘珍樓(へいちんろう )」やこの界隈の中華料理店が、日本における中国料理店の草分けに一役かったと考えても良さそうです。
炒飯を一番最初にメニューとして提供したお店は不明ですが、現在様々なお店や家庭で炒飯が作られています。
残ったご飯と具材があれば、すぐに美味しい料理が出来上がる。
そして味は無限。
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